有名な妖刀、村雨と村正。よく似た名前ですが、なにかつながりはあるのでしょうか? そのルーツを調べてみました。
伝説の妖刀村雨とは
かの有名な『南総里見八犬伝』の八犬士のひとり「犬塚信乃」が使う刀が、村雨です。 つねに刀身が濡れており、寒気を呼び起こすと言われています。このことから村雨は、「抜けば玉散る氷の刃」と称されます。 ▼確かに刀の周辺は青く冷気で覆われているように見える。村雨が登場する南総里見八犬伝は、里見家の姫「伏姫(ふせひめ)」と幼犬「八房(やつふさ)」との因縁によって結ばれた8人を主人公とする長編物語です。 彼らは共通して「犬」の字を含み、牡丹の形のアザを体のどこかに持っています。また、それぞれ仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(じん・ぎ・れい・ち・ちゅう・しん・こう・てい)と儒教における徳を表した数珠の玉を持っています。 神化光村雨のストライクショットの由来も、ここからと思われます。
妖刀村雨とは
村正も実在しないの?
物語に登場する架空の刀村雨に対し、村正は実在します。 そもそも1本の刀を指す名前ではなく、銘柄のようなものです。村正は室町時代から江戸時代まで続いたそうです。なぜ妖刀と呼ばれるようになったのか
村正が妖刀と呼ばれているかと言うと、それは徳川家に関係があります。 徳川家康の祖父と父はどちらも家臣の裏切りによって殺されていて、どちらの事件でも凶器は村正でした。 また、家康の嫡男信康が謀反の疑いで死罪になったときに使われた刀も村正です。さらに関ヶ原の戦いで家康の指を切ったのも村正だったそうです。 これらのことから徳川家は村正を嫌悪するようになり、村正は妖刀と言われるようになったのです。 なおその後、「徳川家を祟る妖刀村正」の名前で広まってしまったため、村正は銘を「千子(せんじ)」と変えたそうです。 ▼ストライクショットにある「千子村正」は村正の別称とのこと。徳川家に恨みがある者が持つように
反面、徳川家をに恨みや反感のある者は村正を縁起物として持つようになったそうです。また、幕末には西郷隆盛を始め倒幕派の志士の多くが村正を求めたといいます。村雨と村正の関係は・・・
どちらも妖刀として有名ですが、関係性はありません。そもそも村雨は物語のなかの刀ですし。
ちなみにみなさんは村雨と村正どっちが好きですか?
私はアンチ重力バリアで爆発SSの村雨のほうが使いやすいので好きです(・∀・)ノ
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